1945年8月に日本が敗戦、韓国が独立すると千鶴子は日本に帰らざるを得なくなった母親と離ればなれになった。
周囲では日本語も禁止され、尹致浩は日本人妻を持つというだけで迫害された。
だが、暴徒が押しかけてきたとき、守ってくれたのは「僕たちのお父さん、お母さんに手を出すな!」と泣きながら抗議した園児たちだった。
苦難の中で結びつきはより深まり、次第に共生園は村人たちにも認められるところとなった。
だが、1950年、韓国動乱が勃発、混乱のさなかで尹致浩が消息不明となる。
子ども達の食料調達に出かけたまま帰って来なかったのだ。
以来、共生園は千鶴子ひとりの手に委ねられることとなる。
孤児が増える一方の時代、しかも日本人女性として、それは想像を絶する苦難の道であったはずだが、千鶴子は弱音を吐かず、事業を続けた。
韓国語を話し、チマチョゴリを着て、孤児たちのオモニとして、生きた。
千鶴子の偉業はやがて広く認められるようになり、1963年には日本人として初めて、韓国政府から勲章が与えられた。
1964年、募金のために日本を訪問した折には、岸信介元首相から励ましを受けた。
日本で「田内千鶴子さんとその事業を励ます会」(会長に植村甲五郎氏)も発足した。
だが、その数年後、千鶴子は病に倒れる。
そして多くの人々の回復の祈りもむなしく、1968年10月31日、57歳の誕生日でもあったその日、千鶴子は生涯を閉じた。
11月2日には木浦市初の市民葬が行われた。
木浦駅前に3万人の市民が集まり、新聞は「木浦が泣いた」と報じた。
「うめぼしが食べたい」
死の直前、もうろうとした意識の中で千鶴子が尹基にもらしたひとことは「うめぼしが食べたい」であった。
それまで韓国語しか話さず、孤児達の母として気丈にふるまっていた母がひとりの日本人女性にもどっているのを尹基は感じ、衝撃を受けた。この経験が、のちの「故郷の家」作りの原動力となっている。
尹致浩・田内千鶴子を両親に持ち、社会福祉を学んだソーシャルワーカー・尹基(田内基)は千鶴子の死後、共生園の園長となった。
それだけではなく、日本と韓国を舞台に福祉の世界に新風を吹き込み、それまでなかった事業を始めた。
そのひとつが「共生」を理念に掲げ、日韓の人々のふるさととなる「故郷の家」の創設である。
1928年10月 | キリスト教伝道師・尹致浩が7人の孤児達とともに生活を始めた(後の「共生園」のはじまり) |
---|---|
1938年10月 | 尹致浩と田内千鶴子が結婚。 |
1950年 | 韓国動乱が勃発。この混乱の中で尹致浩が行方不明に。千鶴子は一人で共生園を運営。 |
1963年08月 | 田内千鶴子に日本人として初めて、韓国政府から勲章が授与される。 |
1964年10月 | 日本で「田内千鶴子さんとその事業を励ます会」(会長に植村甲五郎氏)発足。 |
1968年10月 | 田内千鶴子逝去。享年57歳。 |
1971年06月 | 日本航空株式会社が共生園に児童宿舎「ジャルハウス」を寄贈。 |
1971年06月 | 共生園の子どもたちで結成された「水仙花合唱団」が尹基とともにはじめて来日。 |
1972年04月 | 尹基と、博愛社生活指導員だった福田文枝が結婚。 |
1975年10月 | 共生園に児童宿舎「大阪愛の家」と「大一食堂」が寄贈される。 |
1982年04月 | 尹基が東京に 「共生福祉財団 東京事務所」を開設。 |
---|---|
1984年06月 | 尹基が朝日新聞「論壇」に投稿した文章が注目を浴びる。 |
1984年 | 尹基著「母よ、そして我が子らへ」(映画「愛の黙示録」の原作)出版。 |
1985年02月 | 「在日韓国老人ホームを作る会」発足。初代会長は元駐韓日本大使の金山政英氏。 |
1987年 | 大阪府堺市に在日韓国老人ホームの用地取得。 |
1988年09月 | 社会福祉法人「こころの家族」認可。理事長に尹基。 |
1989年10月 | 在日韓国老人ホーム「故郷の家」竣工。 |
1992年02月 | 日本テレビの番組「知ってるつもり?」で田内千鶴子の生涯が紹介される。 |
---|---|
1992年08月 | 第1回国際社会福祉研修。 |
1993年08月 | 田内千鶴子の生涯の映画化を発表。 |
1993年11月 | 第1回コリアンデイ(創立記念式典から発展。その後、「コリアジャパンデイ」に)開催。 |
1994年06月 | 大阪市生野区に「故郷の家デイサービスセンター」竣工。 |
1994年08月 | 映画「愛の黙示録」、クランクイン。 |
1995年09月 | 日韓合同劇映画「愛の黙示録」完成。 |
1996年04月 | 故郷の家の増築完成。デイサービス開始。 |
1997年10月 | 高知に田内千鶴子記念碑建立。除幕式には韓国から共生園児101名を含む250名が来訪。 |
1998年11月 | こころの家族10周年を祝う。 |
1999年 | 「愛の黙示録」が日本大衆文化の解禁1号として、韓国で上映される。 |
2001年02月 | 「故郷の家・神戸」竣工。 |
---|---|
2003年 | 共生園の庭に尹致浩と千鶴子の胸像が建立される。 |
2003年11月 | 第1回日韓こころの交流シンポジウム開催。 |
2005年11月 | ユ・ヨルチャリティコンサート開催。 |
2006年05月 | 故郷の家・神戸5周年記念コンサート開催。 |
2006年06月 | 尹基理事長が韓国のノーベル賞といわれる湖巖(ホアム)賞受賞 |
2006年11月 | 三ツ星ベルトより福祉センター(体育館)の寄贈を受ける。 |
2007年03月 | 故郷の家・京都支援の会設立 |
2008年09月 | 法人こころの家族設立20周年記念コンサート開催(パク・インスと音楽の友達) |
2008年10月 | 小渕恵三元総理夫人の小渕千鶴子さんが共生園を訪問。 |
2008年10月 | 日韓ビッグ対談(日野原重明・李御寧)開催 |
2009年04月 | 故郷の家・京都竣工。故郷の家では初めてのユニットケア。ケアハウス併設。 |
2010年10月 | 尹基理事長に第2回「自由都市・堺 平和貢献賞」大賞 |
---|---|
2012年04月 | 「南第2地域包括支援センター」受託運営(堺) |
2012年10月 | 田内千鶴子生誕100周年記念事業会が発足。 |
2012年10月 | 「国連『世界孤児の日』」制定推進大会を開催。 |
2013年09月 | 平和貢献フォーラム堺」開催。 |
2015年03月 | 日韓国交正常化50周年記念白建宇ピアノリサイタル開催(サントリーホール) |
2016年07月 | 「3ソプラノと光州女性フィルハーモニックオーケストラによる田内千鶴子記念音楽会」開催(サントリーホール) |
2016年10月 | 高知県と全羅南道が姉妹血縁締結。 |
2016年10月 | 故郷の家・東京」誕生。 |
2017年06月 | 二階俊博自民党幹事長(当時)一行が共生園を訪問。 |
2017年11月 | 故郷の家・東京1周年で金星煥チャリティコンサート開催。 |
2018年09月 | こころの家族30周年記念感謝の集い、シンポジウム「全羅道1000年 日韓文化をつなぐ」開催 |
2018年10月 | 国連「世界孤児の日」制定請願「ニュ―ヨーク世界大会」開催。 |
2019年01月 | 尹基理事長がアフリカのマラウイ共和国訪問。 |
2019年10月 | 木浦で尹致浩生誕110周年記念追悼会開催。 |
2019年11月 | 故郷の家30周年を祝う。「平和と祈りの庭」鍬入れ式挙行。 |
2021年11月 | 尹基理事長が日韓フォーラム賞受賞。 |